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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和34年(ラ)11号 決定

抗告人 鈴木熊次郎 外一名

訴訟代理人 吉田助右衛門

主文

原審判を取り消す。

宮崎県東臼杵郡南郷村大字水清谷九番地筆頭者鈴木熊次郎の戸籍中、

亡千賀雄の父母欄に父亡鈴木富吉・母亡ワカとあるを、父鈴木熊次郎・母マスと、続柄欄に五男とあるを長男と、額書欄に弟とあるを長男と、身分事項欄に出生届出人の資格父とあるを同居者と訂正し、

栄・光雄・一男・亡辰男の父母との続柄欄の出生順位および額書欄を二男・三男・四男・五男と夫々繰り下げて訂正すること、

を許可する。

理由

一、抗告理由、別紙記載のとおりである。

二、当裁判所の判断、

(一)  抗告人等の本件戸籍訂正許可申立の要旨は、

亡千賀雄は宮崎県東臼杵郡南郷村大字水清谷九番地筆頭者鈴木熊次郎の戸籍に父亡鈴木富吉・母亡ワカの五男と登載されているけれども、真実は抗告人等夫婦の長男である。どうしてこのように事実と違つた戸籍ができたかというと、抗告人両名は大正七年中に事実上の婚姻をしたのであるが、婚姻届をしないで、抗告人熊次郎の両親富吉・ワカと同居していたところ、間もなく抗告人等夫婦とワカとの間に不和を生じ、抗告人等の婚姻届に父母の同意を得ることができなくなり、そのままにすごすうち、大正八年三月九日抗告人等夫婦間に長男千賀雄が生まれた。そこで、富吉はワカと抗告人等との諍いのために千賀雄が非嫡出子として届出されることに忍びず同人の五男として出生届をした。以上のいきさつで事実と違つた戸籍ができたのである。その後抗告人等夫婦は千賀雄を富吉の許に残して日向市富高に転居するにいたつたのであるが、大正一五年三月頃になつてワカと和解がととのい、抗告人等夫婦は富吉・ワカの許に帰宅し、同月二五日婚姻届をすました。しかし、千賀雄の戸籍は訂正しないままにしておいたため、抗告人等夫婦間にその後に出生した栄・光雄・一男・辰男は戸籍上は夫々長男・二男・三男・四男と記載されるにいたつた。ところが、千賀雄は日米戦争による召集を受け、昭和一八年八月一三日ソロモン群島において戦死した。

右のとおり、熊次郎の戸籍中千賀雄の父母・続柄・額書・身分事項の各欄、栄・光雄・一男・辰男の続柄欄の記載はいずれも錯誤にもとづくものであるから主文のように戸籍訂正の許可を求める。

というのである。

(二)  鈴木熊次郎の戸籍謄本と当審証人轟イノ・轟岩治・吉田スミ・鈴木フサヱ・山本誠四郎・松木喜太郎の各証言を綜合すると、千賀雄は戸籍上は鈴木富吉・ワカの五男と記載されているけれども、事実は抗告人等夫婦間の長男であること、このように事実と違つて戸籍に登載されるにいたつたわけは、抗告人等主張のとおりのいきさつによるものであることが確認できる。

しかして、抗告人等の申立てるとおりに戸籍訂正をすることについて、関係人に異議のないことは本件記録によつて明らかではあるが、たとい関係人に異議がないとしても、戸籍法第一一三条による戸籍訂正の許可は、訂正を求める事項が軽微で、訂正の結果身分法上重大な影響を及ぼす虞れのない場合か、又は身分関係に影響を及ぼす場合であつても、その記載が法律上許されないものであることもしくは錯誤であることが、その戸籍の記載自体により明白な場合に限ると解すべきであり、本件訂正事項は身分法上重大な影響を及ぼす事項であるから、まず、千賀雄の父母欄の記載がその記載自体によつて不適法もしくは錯誤であることが明白であるといえるかどうかについて考察する。

千賀雄の戸籍上の母鈴木ワカは元治元年一一月二五日生であることが前記戸籍謄本によつて認められるので、同人は千賀雄出生当時年齢五四年三ケ月であつたわけである。

ところで、別件当裁判所昭和三三年(ラ)第二八号事件における宮崎県立宮崎病院産婦人科医長安藤正俊の回答書によると、一九五六年二月E.F.Stamtonの発表した“四四才以上の姙娠″と題する論文によれば姙娠総数七一、八二七例中四四才以上の姙婦二三七例について統計的観察を行つた結果四七才以後では約八〇%が流産し、四七才以後で生児を分娩する頻度は一一、〇〇〇例につき一例の割合となり、五〇才以後の姙娠は極めて稀で、生児を得ることは期待出来ないと述べていること、昭和二五年以降の日本産婦人科学会雑誌には該当する文献は見当らないが、通常月経閉止期は平均地四七才で東洋人は若干早く更年期に至るといわれること、したがつて、五四才を超えて生児を分娩するということは今日の産科学的常識からは考えられないことが認められるし、そのことはまた一般人の常識でもある。

そうすると、五四才を超えてワカが千賀雄を出生した旨の戸籍の記載は死者が分娩したにも等しく、戸籍の記載自体によつて、錯誤であることが明らかであるといわなければならない(戦死者との婚姻届につき戸籍法第一一四条による訂正の許可については昭和二四年一一月一四日民甲第二六五一号法務省民事局長回答参照)。されば、千賀雄の父母欄の消除は許可されるとしても、抗告人等の求めるように父母を抗告人両名とするように訂正することが許されるかどうかであるが、抗告人等は千賀雄の戸籍全部の消除の許可を得たのち、更めて、千賀雄の出生届をする(抗告人等は現在婚姻しているのであるから、戸籍法第六二条により嫡出子出生届をなし得る)のが順序のようであるが、千賀雄は現在抗告人態次郎の戸籍に出生届がなされているわけであるから、これを抗告人等の求めるように訂正することも許されるものと考える。また千賀雄の身分事項欄に出生届出人として鈴木富吉の資格が父とあるのを同居者と訂正することは訂正事項が軽微で訂正の結果身分関係に影響がなく、前記のとおり錯誤であることが認められる以上許可すべきである。

つぎに、栄・光雄・一男・亡辰男の訂正関係であるが右のとおり千賀雄が抗告人等の長男であることが戸籍訂正によつて戸籍簿上明らかとなる以上、長男栄・二男光雄・三男一男・四男亡辰男の記載が錯誤であることは、夫々の出生年月日の記載自体からして判明するのでこの事項の訂正もまた許可すべきである。

以上のとおり、抗告人等の本件戸籍訂正の申立は許可すべきであり、これを排斥した原審判は失当であつて、結局本件抗告は理由がある。

よつて、家事審判法第八条・家事審判規則第一九条第二項により、原審判を取り消し、当裁判所において審判に代わる裁判をすることとし主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 桑原国朝 裁判官 渕上寿 裁判官 後藤寛治)

抗告理由

申立人等は宮崎県東臼杵郡南郷村大字水清谷九番地筆頭者鈴木熊次郎の戸籍中亡千賀雄の父母欄に父亡鈴木富吉母亡ワカとあるを父鈴木熊次郎母マスと続柄欄に五男とあるを長男と額書欄に弟とあるを長男と身分事項欄中出生届出人の資格父とあるを同居者と各訂正しこれに伴い同戸籍中栄・光雄・一男・亡辰男の父母との続柄欄の出生順位を一つずつ繰下げる訂正の許可を求め申立の事情として亡千賀雄は申立人等間に出生した子であるが事情あつて婚姻届をしない内に出生したので亡鈴木富吉同人妻ワカ(申立人熊次郎の父母)間の子として出生届をなしたものであるが之は事実に吻合せず戸籍の記載に錯誤があるものであるから戸籍法第一一三条に基き訂正許可の申立をなしたものであるが戸籍法第一一三条による戸籍の訂正は親族相続法上の身分関係に重要な影響を及ぼさない場合に限り許されるもので本件の様な事案については許すべきものではないとして却下せられた。

然しながら戸籍の記載に錯誤がある以上戸籍上の父母並に子が共に死亡していても実父母が生存しているのであるから戸籍を訂正して事実に吻合せしめることは何等公の秩序に影響を及ぼす事項ではなく法の精神に反するものではないと信ずる。

近来軍人遺家族の扶助料に関連し同一事案につき全国的に戸籍訂正審判申立が行われ各地に於て許可審判が与えられている(昭和三三年八月六日付民事(二)発第三六三号法務省民事局第二課長回答戸籍先例全集第四巻一二四〇の二四五頁二七五九の八九並に昭和三四年三月七日民甲第四六三号法務省民事局長回答御参照)実情にあるのであるが原裁判所が本申立につき証拠調等何等実質的な審理をなさず形式的な判断によつて却下したのは不当であると信ずる。

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